母の日は日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中様々、日付も異なる。
イギリス
17世紀、奉公中の子ども達が年に1度、教会で面会できる、復活祭の40日前の日曜日が始まりとか。
アメリカ
南北戦争直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦争に送るのを絶対に拒否しようと、南北戦争中に『母の日宣言』を発した。
戦争中にウエストバージニア州で敵見方を問わず負傷兵の衛生状態を改善する為、地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものとされる。
ジャービスの死後その娘アンナは、1907年5月12日、母が日曜学校をしていた教会で記念会を持ち、母の好きだった白いカーネーションを送った。
このことから白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
5月の第2日曜日は、1914年「母の日」としてアメリカの祝日となった。
『母の日』がこんないわれを持っていたことを始めて知りました。
こんな歴史を持つ国が戦争を絶やさないなんて?
最近ではバラ、ガーベラ他好みの花が利用されるようになった。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中様々、日付も異なる。
イギリス
17世紀、奉公中の子ども達が年に1度、教会で面会できる、復活祭の40日前の日曜日が始まりとか。
アメリカ
南北戦争直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦争に送るのを絶対に拒否しようと、南北戦争中に『母の日宣言』を発した。
戦争中にウエストバージニア州で敵見方を問わず負傷兵の衛生状態を改善する為、地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものとされる。
ジャービスの死後その娘アンナは、1907年5月12日、母が日曜学校をしていた教会で記念会を持ち、母の好きだった白いカーネーションを送った。
このことから白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
5月の第2日曜日は、1914年「母の日」としてアメリカの祝日となった。
『母の日』がこんないわれを持っていたことを始めて知りました。
こんな歴史を持つ国が戦争を絶やさないなんて?
最近ではバラ、ガーベラ他好みの花が利用されるようになった。